属人的なノウハウは会社のノウハウか?

今日は、非常に重要なミーティングをした。

それは、昨日のプレス発表会の反省会。過去に数度プレス発表会を行ったが、一度も振り返りのミーティングはしなかった。今回いろいろ思うところがあって、関係者を集めて急遽行った。時とともに記憶は曖昧になるし、時として記憶は美化されやすい。それでは次に繋がらない。

よかった点、わるかった点を洗い出していくと、いろいろと見えてくるものがある。反省点が大半を占めるのだけれど、今日一番自覚したかったことは、KDDIウェブコミュニケーションズは実に脆く、危ういということだった。

我々の活動の多くは、属人的プレーの連携によって成り立っている。誰かが会社を辞めても、会社はそこそこまわるのは間違いない。でも、過去の活動に勝るクオリティを出せる自信と保証はない。なぜなら個人プレーの上に成り立った戦略だから。

これはジレンマがあって、ある分野においてはノウハウのトランスファーが難しいのと、体系化できないところに個人の価値があることもしばしばある。ただし、このままこの状況を続けていくと、ある特定の個人にのみ経験値がストックされていく事態に陥る。よって、時系列とともに個々の力量差、経験値が明確に開いていく。なおさらノウハウはトランスファーできなくなる。

中小事業者はどこも同じだと思うけれど、一回一回の勝負が社運をかけるぐらい重要だ。その重要な勝負を教育に使うこと(という判断)は難しい。

属人的なノウハウは会社のノウハウか?

瞬間で輪切りにすれば、Yesだと思う。ただ永続性を考えるとNoだ。

現時点において、当社は実に脆くて危うい。大きくなるための壁が、明確に目の前に現れた気がする。こんな時こそ成長のチャンス。次につなげるにはどういうステップが必要か?今日のミーティングは、そんな解をくれた気がする。

環境が育んだもの

先日、サンフランシスコのスタートアップから来客があり、羨ましい話を聞いた。

彼は、Business Developmentの役割で来日し、その責務を忠実に果たしていたと思う。その見識の広さやビジネススキル、人脈はすごいなぁとただただ関心するばかり。

そんな彼はPalo Alto(シリコンバレー)の付近で生まれ、育ったらしい。小さい頃から、父親の仕事の話の中にスティーブジョブズやウォズニアックの名前がチラホラ上がっていたらしい。

ITに携わる人間にとっては羨ましい限りの環境だが、やっぱり環境が育んだものってあるの?って聞いたら、意識をしたことはないけれど、今の人生を導いた何かはあるのかもしれない、とのこと。

自分の場合はどうだろうか?

私は愛知県豊田市で生まれ、高校卒業まであの街で育った。そう、トヨタ自動車の本社から徒歩10分のところ。何もかもがトヨタで溢れていて、そんな街があまり好きじゃなかった。だって選択肢が限られた世界だから。車も保険も家も全部トヨタ、みたいな世界。

小学生の頃、親の職業調査みたいなのがあって、先生の質問は今でも忘れられない。

「トヨタ自動車関連以外の仕事の人は手を挙げてください」

私を含む、4〜5名しか手をあげなかった。これは子供心に実はすごいコンプレックスというか居心地の悪いものだった。このマイノリティー集団は大抵が自営業者。我が家は電気屋(今で言う家電量販店)だった。みんなと同じじゃないってのは子供にとっては結構辛いもの。

とはいえ、よくよく考えるとプラス面も多かったのかもしれない。母方の祖父が始めた電気屋だが、まだグローバル企業として羽ばたくまえのトヨタ自動車の社長夫人がよく乳母車?を押しながら家電製品を買いにきたらしい。そんな逸話を小さい頃からよく聞かされていた。

一番耳にこびりついているのは、物を粗末に扱った際に母から言われ続けたトヨタのエピソードだ。

「トヨタは今でこそあんなに大企業だけど、昔は電気製品の請求書を封書で送ると、その封筒を裏返しにして送ってきてたんだよ。それだけ物を大切に使ってたし、節約してたから今があるんだよ」

本当の話なのかどうかは定かではない。でも、こんなストーリーがいくつもあって、それを聞きながら育ったのは幸運なのかもしれないな、と思う。それが身に付いてないのが何ともはや、申し訳ないのだが。

普通にトヨタのサラリーマン家庭に育っていたら、また別の視点があったかもしれないし、わからない。でも、自分を構成する何万という要素の中の1つに、トヨタのスピリットは1mmぐらいはあるのかもしれない。

ちなみに私の愛車はスバルです。

技を盗め

以前社長から、Big Shoulderを越えた者が勝つ、という話を聞いた。

簡単に言うと、既にマーケットにいる勝者(Big Shoulder)の良い方法を真似て、悪い方法を改善した者が勝つという話。要は成功者がいるのであれば、そのやり方を模倣すれば成功への一番近道ということだ。だって勝者が勝った理由がそこにあるのだから。

逆に、成功者は成功のしがらみもあって、なかなか変化できずに改善に二の足を踏んでしまうこともある。よって後発の優位性は確実に存在する。

これは同じことが社内でも言える。

社内で過去に成功した例、失敗した例をよく見ていれば自分が成功することは比較的最初にトライする人間に比べて容易い。成功した例を模倣し、失敗した例を改善すればいい。 でも、なかなかこうはいかない。社内ほどなかなか模倣しないのものだ。

プライドの問題なのか、いろんな感情があるからなのか、単に周りを見ていないのかはわからない。でも、あっちの部署で過去にやったことを、一から考え、議論し、議論することに陶酔しちゃったりするのは馬鹿げてる。

一番怖いのが、「俺には俺のやり方がある」という考え方かもしれない。

一見、個性の尊重とか、人それぞれの考えがあるとか、もっともらしい考え方のように聞こえる。しかし、ばっさり一刀両断するならば、それはただの自己満足であり、時間の無駄。

一からすべてを発掘して成し遂げることは必ずしもスマートではない。

スマートなのは、いかに最短のスピードで成功に持って行くか、だけだ。

どんなすごい人でも、すべては模倣から始まる。むしろすごい人ほど模倣のアンテナが常に立ってる。ただし、模倣とは教えてもらうことではない。

模倣とは、技を盗み、自分の中に蓄積し、蓄積した要素を磨きあげるもの。

磨きあげてはじめてそれは己の物となり、個性となる。

これができぬ前に個性などない。

すべてのスタートは貪欲であり、まだまだだと思う謙虚な姿勢かも。

World Orderのブログから

いい言葉。

僕には掴みたい夢がある

誰にも譲れない夢

でも、いつもジャイアンに邪魔されるんだ、、

今日こそは掴んでやる

そう思っても、結局ジャイアンがやってくる

でも今日はドラえもんに借りてきた道具があるから

ジャイアンにも邪魔されることはない

でも、

やっぱりジャイアンに邪魔されちゃった。。。

ドラえもんから借りた道具は、自分の強い意志

いつも邪魔をしてくるジャイアンは、周りの環境

そうじゃない。

両方いつも自分の心の中にあるんだ

(YUSUKE MORISAWA)

(出典: crnavi.jp)

CA藤田社長のポストから

サイバーエージェントの藤田社長の”人格劣る稼ぎ頭は、出世させるべきか“というポストは久々に響いた。ここ最近苦しんでいる問題を如実に表している気がする。

全文通じて素晴らしいけれど、特に気になったところを抽出する。

成果主義を貫くうえで最も重要なのは、下が上げてくる面白い事業アイデアを、上がきちんと評価できるかどうかである。成果主義は部下のアイデアの質を的確に判断できる上司とセットになっていなければ、たちまち行き詰まってしまう。成果が正当に評価されない成果主義など成り立つわけがない。

弊社の場合、事業アイデアの評価は、基本的に私がひとりでやっている。最近は役員クラスの中にもきちんと評価を下せる人間が出てきたが、アイデアの評価は数値で判断できるものではないから難しい。そのアイデアが底の浅い思いつきレベルのものなのか、それとも一本芯の通った、大きな可能性を秘めたものなのかを判断する力は、一朝一夕には身につかないのである。

私がアイデアを評価するときの基準にしているのは、プレゼンテーションをする社員の目つきと姿勢である。

自分のアイデアを本気でいいと思っている社員は、まず、目つきが違う。

大事なのは、上記の下段の部分だと思う。

それから、これはすごく良くみる光景だし、よくわかる。

目つきと同時に重要なのが、姿勢や態度である。私は、プレゼンテーションのとき、私のほうばかり向いて話をする社員をあまり評価しない。決裁者ばかり意識して熱弁をふるう人間を、信用できないのである。なぜなら、社長に認められたい、あるいは自分のプライドを守るためプレゼンに勝ちたいといった動機から捻り出されたアイデアに、ロクなものはないからだ。


iPod vs メモリーカード戦争

先日、こんな記事をみかけた。

デジタルオーディオプレイヤーの世界もiPodや韓国製に日本が遅れをとった。理由は、日本のメーカーは「著作権保護とデータが絶対消えないということにこだわっていた」からだ。メモリやHDDなどという不安定すぎるメディアに音楽を記録して、落下や衝撃のショックなどでデータが消えたらお客様にどう説明するんだ?というのが90年代の日本メーカーのこだわりであり常識だった。

初代iPodが出たとき、ぼくは、松下のSDプラットフォームチームにいた。当時、松下は本気でSD-AUDIOを開発していたので、iPodは正直、おどろいた。

松下などのSD陣営はデータが消えにくく、著作権保護が可能なSDカードとその周辺の開発で、すでに数百億円以上つっこんでいた。他社と調整してSDMIなどの世界標準規格もたくさん作った。すごい時間とカネをかけて著作権保護と暗号化と静電気に強いカードとフォーマットを開発していた。その前に出したスマートメディアやMMCが静電気に弱くデータが消えることが多かったからだ。一万回SDカード抜き差しテストなどが普通に行われていた。もちろん、メモリースティックも同様の状況だったと思う。

まさに、最終行に書いてあるメモリースティック陣営(KENWOOD)に自分はいたし(新卒1年目)、思いっきり関係者だったのでよくわかる。

いま振り返って感じることはいろいろあるけれど、あの頃できたベスト(もしくは取れる選択肢)ってあれしかなかったんだと思う。お客さんと向き合うというより、いかにMDの次のカード、フラッシュメモリーの主導を取るか、みたいな感じだった。iPodの初代が出てきた時も、まさか市場を席巻するとは正直思ってなかった。

あとからいろいろと評論する輩はいるけれど、その場にいなければわからない感覚と事情はある。

なぜ日本のメーカーはアップルになれないのか?とか、そういう記事は好きじゃない。勝負は一度きりではないし、そこから学び取って次に活かせばいい。言われなくても当の本人達は痛いぐらいにわかってる。

新卒時代に一番感謝しているのは、会社の制度とか環境とか素敵な上司とか(もちろん上司の存在は大きいけど)そういうものじゃなく、運良くこの時代にこの戦争のまっただ中に入れたことだと思う。

飽和した市場といわれる時こそ、変革の前兆だったりするってのを目の当たりにできたから。

(出典: blogs.itmedia.co.jp)

進化と変化

進化するために変化は欠かせない。

変化しないことで進化することもある。

何を変化すれば進化に繋がるのか?

心地良いと感じるものを変化させることなのかな、と思う。心地良いという感情は、奥底で安定感を望んでる。安定は進化の妨げになる。

来年は、今年心地良いと感じたことを脱ぎ捨てて、また挑戦しないとね。

覚悟を決める

先日、岩瀬さん杉江さんと飲んだ際に

覚悟が大事

という言葉が何度か出た。たぶん岩瀬さんの言葉だったと思う。

その言葉は、驚くほどストンと入ってきて、腑に落ちた。

責任感と覚悟はまた別ものだと思う。覚悟を調べてみるとこんな感じで書かれていた。

 危険なこと、不利なこと、困難なことを予想して、それを受けとめる心構えをすること。

最近、新卒2年目の女の子が覚悟を決めて新しいサービスのリリースを頑張った姿を見た。相当大変だったと思う。

まさにそれは責任感とは違って、覚悟を決めたように見えた。

この覚悟を決めた瞬間から、周り(人)は動き始めるんだな、と思った。

覚悟を決めた人は、「それは私の仕事じゃないので」という言葉を発しない。サービスの成功をただただ信じて走り始める。

そこに権限とか権力が無くても、覚悟が見えれば周りは文句を言いながらでも動きだす。覚悟が見えなければ、人はなかなか動かない。覚悟がない人ほど権力が欲しい、権限が欲しいという言葉を口にしたりする。人は権限や権力で容易く動くものではないんだけど。

そんな人の本質を見た気がする。

いろいろ至らない点もあったと思うけど、お疲れさまでした。


制作者からサービス提供者へ

昨日、話題になりましたね。baiduの発表。

バイドゥ株式会社(所在地:東京都港区/代表取締役社長:Alan Zhang(アラン・ザン)、以下バイドゥ)は、アンドロイドスマートフォン向けの日本語入力システムである『Simeji(シメジ)』に関する事業のすべての権利を取得いたしました。
また、本事業取得にともない『Simeji(シメジ)』の開発者である足立昌彦氏とデザイナーの矢野りん氏は、バイドゥに入社し、引き続き『Simeji(シメジ)』の企画・開発業務を担当いたします。 

発表の意図とは全然違いますが、もっともっとWeb制作者はサービス提供会社へ入ったほうがいいのにな、と思います。そういう流れができるとすごくいい。

良いWebを作って納品する、もいいんですが、良いサービスを作って世界を変える!のほうがもっと面白くないですか?Webは事業の一部であることに違いはないので、作る過程や作った後にどう育てて行くか。そこまでコミットできたほうが面白いと思うんですよ。

Webだけじゃなくて、Webサービスをやってる会社であればアプリケーションのインターフェースもあるし、Webに頼らない奇策だって考えられたりする。いいサービスが育てば、それだけ日本も潤う。世界中に広がるサービスの一員になることだってあるかもしれません。

ま、あくまでサービス提供会社側からの一方的な理屈ですが。


(出典: baidu.jp)

Web脳って確かにマーケティングに邪魔

初tumblr。たぶん長く続かないと思うけど。

あんまり極端なことを書いたりするとあげ脚とられそうなのでほどほどに書きます。

先日、こんなブログが話題になってました。

結構昔から意識してる事の一つとして、Web脳を捨てる、というのを実践しています。

Web脳っていうのは僕が勝手に命名したもので、ググっても定義が出てくるものではないですが、意味はそのままで、インターネットにどっぷり浸かった脳って意味です。

えーと、たとえばWeb制作のときに「FacebookとTwitterの投稿ボタンが無いって異常・・」とか、「コメント欄はFacebookから投稿できる様にするのがトレンド」とか「時代はスマフォだ。ガラケーは切り捨てよう」みたいな考えが平気で出ちゃう脳の事です。

 このWeb脳っていうのはマーケティングに凄く邪魔なんです。ターゲットやKPIにもよるので言い切れませんけど、たとえばプロダクトやサービスがライトユーザー向けだった場合に、彼らの心理や行動パターンを読む必要があるわけですよね。じゃないとユーザビリティ向上なんて出来ません。

Web脳を捨てる より

少々異なりますが、Web脳というものは確かに存在すると思います。

言い換えると、

Web中心主義

マーケティングのセミナーでよく話をするのですが、Webに携わる時間が増えれば増えるほど、何故かすべてのアクションをWeb(とWebの周りにあるもの)の範疇内でおさめようとする傾向が出てきます。Webマーケティングの本とかでアクセス解析やSEMばかりがフォーカスされて書かれているのに何かそれって違うよねって思うのも(Webマーケティングの本なので当然ですが…)、このWeb中心主義とも言えるWeb絶対病にかかっているからだと感じています。

顧客は年がら年中皆さんのようにPCの前に座っているわけではありません。東京近辺に住んでる人は、例えばかなりの時間を電車で過ごしていたりします。場合によってはSEMより、車中の中吊り広告のほうが影響力が高いかもしれません。

あるいは商材によっては、一切検索するという行為を取らないものも存在します。

Webであれ、広告であれ、雑誌であれ、最終目標は売上を目標額に到達させることです。仮に自分の担当がWebだけだったとしても、常にこのサービスは、このクライアントは、果たしてWebが適切なんだろうか?という頭は持ち続けねばなりません。別にDMだっていいし、ポスティングだっていいし、ティッシュ配ったっていい。その時々の戦略に応じて最適な手段を用いる脳があればそれでいいんです。

少なくとも、自社の文化にWeb中心主義が根付かないように気をつけたい、と思いました。